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奴隷、家畜、処理道具・・・
色々言い方はありますが、私の中では皆違うようで、同じなのです
ただ、扱い方は若干違います。
奴隷にも家畜にも、自らの意思はあれど決して表には出してはなりません。
奴隷は絶対服従であり、主の命ずるままであり、家畜は飼主の好みのまま変えられ、愛情を注がれる。
相反しているようですが
奴隷は、手足を切り取られ歯を抜かれ舌を抜かれ「達磨」になっても構わない。そして、不要になれば廃棄される。
家畜は、改造され改良して躾けられ可愛がれ、不要になれば他に売られるか、屠殺される。
そんなものです。
そんな残酷なことを、とか、そんなこと現実に、とか、言われるでしょうが、どんな世界にも表と裏、深い闇というものはあるものです
需要と供給
そうなりたい者と、させたい者、その両者がいれば、どのような世界でも成立するわけです。
なりたいとも思わないし、なるわけがないと思う者を、そうさせたいと思う者、という構図も成り立つわけです。
とは言え、表の世界・生活というものが在る以上、そこまでの行為は中々現実味がありません。
だからこそ、互いが存在する時はとことん堕とすわけです。
対極する場に存在するというのは、簡単なようで容易なことではありません。
経済力、知識、知恵、様々な能力、心酔、陶酔させる器・・・
君臨する者と、屈服し傅く者・・・
その距離があればあるほど、実はその距離は縮まる・・・そう考えます。
私からすれば極々当たり前の話であり、現実化している者達を見て羨む話でもあり、幾らでも実行したいわけです。
こんなことを書いて悦ぶ自身がいます。
笑顔の裏で怖い怖いことを考えています。
冷静に冷酷に酷いことをします。
何と非難されても良いのです。
それは私がサディストであり、そしてマゾヒストがいるから。
願望は実現する為にあるのです。